「ミスが多い」「空気が読めない」など、ひとつの個性だと捉えがちなネガティブ要因も、本人の努力で改善できそうでできない発達障害の特性だったりする。
生まれつきの脳の特性によって、日常生活を送ることが困難な場合がある。
以下のように、発達障害の特性を持つ方が、仕事や生活で陥りやすいポイントとその解決策をTODOレベルでまとめたものもあるが、人と違う行動を取ってしまったり、同じことがうまくできなかったときに、落ち込んだり自分を責めたりする「考え方」や「思考のクセ」も、うまくいきていくうえで身につけるべき大きなポイントとなる。
つらいときに立ち返るために、自分が不調に陥りやすいポイントをまとめた。
周囲にあわせようとしない!
みんながしているから自分も、、とは考えず、理解してもらうようにする。
ただ、家族は比較的理解を得やすいけど、職場となるとかなりむずかしいような。
適応障害の人が多くはたらく特例子会社は別として、一般的に就職した企業だと、なかなかむずかしいし、そもそも個人にそこまであわせてくれる会社、あるのかな。。
あるべきという固定概念を捨てる
とくに女性の場合、料理が得意で綺麗好きで面倒見が良くて一歩下がって…といった世間の理想の母親像にとらわれないことが大切。
むりして料理が得意になろうとギスギスしているお母さんよりも、料理が得意でないことを、ありのままの自分に自信を持ち、受け入れる姿を見せる方が、すてきな母親像に写るのでは。
少し飛躍してるかもだけど、山田詠美の『ぼくは勉強ができない』の主人公・秀美のお母さん、今の時代でも少し破天荒なところがあるけど、彼女の息子も、また多くの読者も魅力的に写ったのではないだろうか。
困ったときは人に頼る
よくもっと周りの人を頼ってください、と言われた気がする。ついひとりでなにもかも解決しようとして、結局うまくいかず仕事が遅れてしまったり、最終的に周りに迷惑をかけることが多々あった。
もちろん、見積もりを正確にする努力など、ひとりで完遂するために努力で改善できることはすべきだけど、どうにもいかないときは、頼ることも重要。
できれば、相談相手を見つけるのがベスト。
そもそも、会社って、ひとりで成し得ないことをチームの力で達成して利益をあげる場所。
なので、ひとりでできないことがあって当然だし、逆に抱え込んでしまうと全体効率がわるくなってしまって、よくない。
「過剰適応」にならないために
日本では、自分を抑え、社会に合わせるふるまいが称賛される傾向があるため、誰もがそうふるまおうとする風潮がある。
社会で生きていくためには、ある程度適応する努力は必要です。
しかし、発達障害の特性がある人の場合、脳機能の特徴から、自分が本来求めていることや、自分が心からやりたいと思っていることを抑制するのがむずかしいと考えられています。
したがって、周囲のルールにあわせようとすると、適応すること自体を過剰に優先させて本来の自分を抑え込んでしまうケースがあります。
これが過剰適応といわれる状態です。
発達障害の特性のある人のなかでも、特性の現れ方が比較的軽い人の場合、周りの状況や社会で求められることがよめてしまうため、それにこたえなければならないと考えて過剰適応になりやすいといえる。
学生の頃やはたらきはじめの頃は全然対人関係で悩まなかったのに、最近ささいなことでも気になるようになったのは、この過剰適応に陥ってたのかとかなり腑に落ちた。
なんだが、日本特有の秩序を重んじる文化のせいで生まれた障害で、ぜんぜん文化の違う国だと実はさほど問題にならず障害として認知もされてないのかもしれないなと思った。。
飛躍しすぎかもしれないけど、自殺率が諸外国に比べ極めて高いのも、このいき過ぎた過剰適応のせいなのでは。
それに今は昔と違い、年功序列・終身雇用が崩壊し、AIによる業務の自動化によって仕事がなくなったりして、ただやみくもにがんばり続ければお給料があがって老後は年金で安泰ない時代。
昔よりいっそう過剰適応で苦しみ、もはや何に適応すればいいかわからず適応障害でない人もパニックを起こしてしまうのでは。
大変な時代だなと思うけど、適応障害の認知も昔よりはだいぶ向上して、理解してくれる人も増えて、支援する機関や制度もできた。
AIによって職が奪われると言うけれど、ITの進歩によって、アラートアプリやスマートロックなどの IoT製品も多数でて、かなり快適に過ごせるようになったと思う。
とはいえ、やはり社会生活を送る上でやはりマイノリティで受け入れがたい面もあるだろうから、しっかり自分の特性を理解して、出来る限りの対策をするよう心がけよう。
でも、深刻に考え過ぎず、休憩をはさみながら、マイペースに進めよう。
参考図書